「ジギル&ハイド」2015ソウル公演に魅せられて〜2
彼女と別れた後、帰り道で「結構楽しんでたみたいだな。」と笑うアターソンに、
「それなら僕も偽善者ってことだな。」と自嘲するジギル。
「人間は誰でも、そんな感情があるのだから気にするな。」
アターソンの言葉に、はっとするジギルは、別れの言葉もそこそこに、実験室に戻る。
心を病んだ患者でなくても、同じように善と悪の本性があるって気がついたってこと?
自分自身を被験者にして、ひとりで実験を遂行するれば、
誰の赦しも必要ないと、自らを実験の対象にすることを決意する。
#This Is the Moment-時が来た / ジキル
韓国では知らない人はいないと言うほど有名な歌。
今こそ実行する時だと、これから行う実験の決意を歌ったナンバーですが、
意気揚々と、熱く歌うチョジギル。
実験への絶対的自信がみなぎっていました。
ウンジギルは、最初は不安と戸惑いに、
「僕にできるだろうか?」と自問し、「でも、貼るべきは今この時なのだ。」と自答する。
そしてまるでこれから大海原に出て行こうとする船に乗っているように、
科学者としての夢が広がり、自信に変わって行くんですよね。
そして最後は「成功させるぞ!」という強い決意で歌い終わるって感じ。
若い科学者らしさがあふれていました。
ふたりとも、エネルギーを一気に放出するように歌う姿が本当にかっこいい。
圧倒されます。
普通舞台でガッツポーズなんて許されないんだけど、
この歌だけは特別。全身で歌い終わった後のガッツポーズに、会場は大盛り上がり。
そんな中、舞台を進行させるのは難しいんだけど、
ここはそのまま次の大舞台へ繋がるので、半ば強引に曲が流れて舞台は進行します。
自らに薬物を注入するジギル。
自分に起こる変化を逐一記録するジギルは、突然苦しみだし・・・変身する。
チョジギルは、前から思ってたことだけど、
ここのくだりの演技の芸の細かさといったら(笑)
アルコールに綿花を湿らせ、腕を拭き・・・と、注入するまでの動作を事細かに表現。
そして、《左腕》に薬を注入。←だから左手がハイド(笑)
薬がまわり、身体に反応が出始める。
ソンウ先輩自体、「この気分は・・・麻薬?」ってところに燃えてる感ありで、
毎回どんな風になるのか予測がつきません。
今回は、たっぷり時間をとって、フワフワと飛んでいるような気分を表現して面白かった。
突然苦しみだし、ハイドに変身してもソンウ先輩はそんなに声色も変えません。
でも目には狂気の光。
わずかに残るジギルの意識に、右手がびくびく動くのを、左手でぴしゃりと押さえ込むと、
左手でジギルの手帳に書き始める。それが、すごく気持ちが悪くてすごいの。
ジギルをあざ笑うように「期待以上の成果。自由〜。」とささやき、
自由を謳歌するように歌う。
一方、ウンジギルのここは、彼の決めどころとも言えるシーン。
「麻薬?」のことろは、前回は大笑いして、陽気な気分を演出していた彼ですが、
今回は、ジギルの知的でモラリストなところを意識してか、クスクス知的に笑う。
湧き上がる高揚を抑えようとしても、楽しくて仕方ない様子で
ステップを踏んだりしてかわいいの。
でも、瞳を見開き視線が泳いでいるんだよね。←らりってます(笑)
そうかと思うと、突然激しく苦しみ出して。それがもう、すごく激しいんです。
もうのたうち回り、首ブリッチで逆さになったまま歌ったりして、あっけにとられていると、
フラフラと立ち上がると、同時にチャイムが鳴り響き、
身体をびくりとふるわせ、息を殺して辺りを見回しす様子は、獣のようで。
誰も入ってこないことを確認すると、やっと息をしたかのように吐き出し、
鏡を見ると、自分の姿に不敵に笑う。
それが冷たくて、不気味で、ものすごく怖いんです。
解き放たれた獣の雄叫び。
別人のような地を這う声に心を鷲掴みされ、呆然と闇に引き込まれる快感。
静と動を巧みに使い分け、キレのある演技が彼の信条。酔います。
ジギルはハイドに変身する実験に没頭し、周囲の人々は彼を心配するが、
彼は、彼らと決して会おうとしない。
ウンジギルでは、感情の起伏が大きい。
イライラして、つい声を荒げてしまう彼にハイドの影を感じ、
「・・・すまない。」と、謝るところは、まだジギルが主導を握っている感があるけど、
ジギルは元々、激しい気性の持ち主。
それを理性で抑え込んでいたけのだけど、
ハイドの出現で、その感情が大きくなりコントロールしきれず、
ウンジギルは精神的にどんどん消耗しているように見える。
#His work and nothing more
ジギルを問い詰めるアターソン、彼を心配するダンバース卿に彼を信じるエマの4重奏。
すごくいいんです。すきっ。
ジギルを心配する彼らを突っぱね、心の扉を閉ざしながらも、
密かにエマの名前を繰り返し叫ぶジギルが切なくて。
ある日、ルーシーがジギルの元を訪れる。
彼女は身体に傷を負いその治療して欲しいと言う。
彼女を治療するジギル。
しかし、その傷を負わせたのがハイドという話を聞いて戦慄を感じる。
一瞬、自分の正体に気づかれたのかとルーシーを伺うけれど、
彼女には全くそんな様子もなく自分を信じているルーシー。
彼女に何を感じたのか?
ジギルに好意を持つルーシーに誘われるようにキスをするジギルだが、
自分の気持ちと行為に戸惑う。
彼の気持ちとは裏腹に、ルーシーはジギルへの想いを膨らませる。
チョジギルは、ハイドのつけた傷に後ろめたさを感じながらも、
自分の正体がバレはしないかという気持ちが強く、彼女の顔をまともに見られない。
そして彼女に誘われるままにキスをするが、それは好意ではなく、
さらに罪悪感を感じて去っていく。
右手を掴まれ、誘われるまま唇を寄せるウンジギル。
熱に浮かされたような表情でキスをした後、その手で唇に触れ我に返った彼は、
自分に芽生えた感情を振り払うように彼女の元を去る。
自分の中で大きくなる感情を打ち消すように。
ルーシーがつかんだのは右手。
つまり、ルーシーに惹かれたのは紛れもなくジギル本人だったってことなんです。
エマ一筋だった彼にとって、エマへの感情はあってはならない感情だったんですよね。
そしてそれは、さらにハイドの標的となって、自分とルーシーを追い詰めていく。
あ、この舞台の中で、「右手=理性=ジギル」「左手=本能=ハイド」なんです。
この使い分けを、それぞれ舞台でジギルとハイドの心情を表現していて、
それが本当に細かい演技で深いんです。
#Someone Like You-あんなひとが /ルーシー
恋にときめく胸の内を幸せそうに歌い上げるルーシーと、
うろたえながら去っていくジギルの感情の差に、
幸せに歌い上げればあげるほど、悲しさを感じてしまいます。
一方、ハイドは、ジギルの実験に反対していた人物への復讐を始め、
最初にバッシングストーク司教を殺害する。
#Alive2-生きている2 / ハイド
神に使える身でありながら、事もあろうにロリコン趣味で、少女に手を出す司教。
「子猫ちゃん、鳴いてごらん。」
「・・・にゃ、にゃお」
怯えた少女が恐る恐る鳴く声に興奮して、
「ワンワン!」と、犬にのように興奮するくだりは毎回違っていて面白いんですが、
その様子をからかうように真似して、遠吠えまでするウンジギルのハイドが好き。
怒りというより、嘲笑。
彼のハイドの中には怒りもない。
ジギルが抑えつけていた感情、欲望や殺意だけがハイドの中にあって、
ハイドはそれを解放する快感に酔い、興奮しているように思えました。
怒りはジギルのもの。
だからウンジギルは、どのジギルよりも世間に対して憤りをストレートに出してるんですね。
それに対して、怒りはハイドの分担してるチョジギルは、
どんなに叩かれても、怒りを前面には出さず、ただただ、審議委員たちに哀願します。
だかた彼のハイドは彼を挑発しながらも、自分の内にある怒りを解放し、
制御できないほどの怒りを吐き出す。
怒りを司祭にぶつければぶつけるほど昂ぶる怒りは、激しく炎のようで圧倒されます。
一方、終始冷たく残忍なウンジギルのハイドは、
司祭を痛めつけるほどに快楽の笑みを浮かべ、
解放された悦びの声のように歌いゾッとする。
まさに炎と氷のALIVEです。