This is it

舞台大好き。映画も大好き。私の見たもの日記のようなものです。

「フランケンシュタイン」レポ~2匹の怪物①


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アンリの処刑が終わったところから、
一気に物語が動き出します。
ちょっと、長くなってしまそうなので、いくつかに分けてあげることにします。


♬偉大なる生命創造の歴史が始まる

ギロチンの前に命を落とし、ビクターにその頭を与えたアンリ。
一転して暗闇の中でビクターは、そのアンリの頭を持ち何を思っていたか?
ここは三者三様で、とても興味深いんです。

もう目を開けることのないアンリの頭と見つめ合う
ジュンサンビクターとドンソクビクター。
しかしその後ジュンサンビクターはそれを桶に入れて、
ドンソクビクターは胸に抱く。
そしてコニョンビクターは終始胸に抱き、実験室に入っていく。
そこに、アンリと実験への想いが
それぞれ込められているような気がして興味深いです。

黙々と実験を進めるビクター。
しかし、大きな機械を動かし、レバーを引きながら、昂ぶる気持ちを抑えきれず、
やがてまるで自分が神になったかのように、自分に酔いしれる。
その手順がかなり複雑で、止めるときに間違ったりしないだろうかとか、
ビクターごとに微妙に違うんだぁ・・・なんて、
そんなところをチェックしてしまう私って、
どんだけビクターに思い入れが無いんだ?((^◇^;)

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一方、その後ろの機械の中は、彼によって作られた「創造物」がせり上がり、
無機物的に「置かれて」佇む。
チサン「創造物」は、「モノ」としてその中に立ち、
その存在すらもよくわからない。
だから、必然的に歌い上げるビクターに釘付けになる。

ウンテ「創造物」も、モノとして(本当に人形のよう)立っているんですが、
ビクターが動かす機械の放電により、感電してビリビリと動くんですね。
その動きが本当にリアルで、思わず釘付けになってしまうのです。

「どうやったら、あんな風に動けるんだろう・・・。」

命のないもの(死体)が、感電に反射する不気味さ。
(と言いながら、ここにジーザスを感じてしまった(笑))

本来なら、このシーンはビクターの最大の見せ場で、
ビクターに目が行くべきなのだから、
舞台の一部になるチサンくんの方が正しいのかとも思うのだけど、
私はこのウンテさんのモノとしての演技に心が痛くて、たまらなく好きなの。

怪物になってからのウンテさんは、何かに取り憑かれたように別物なんです。
生を受け、立ち上がるところから、最後まで、
全ての怪物の動き、仕草、細かいひとつひとつが、確実に人間でないの。

その動きは、バレエだと思う。
コンテンポラリーとかモダンダンス。(あんまり詳しくないけれど)
特に怪物になった時の動きは、肉体の動きを細かく分析して、
関節を上手く使えないとどういう動きになるのか?っていうんでしょうか?
人間でも動物では絶対にしない動き?
とにかく、自分の肉体の隅々まで神経を行き渡らせ、
すべてに意味を持たせた無駄のない動きに感嘆せずにかいられません。


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目覚めたときに、ベッドにつかまり立ち上がろうとする動きや、
立ち上がった時のバランスをとれなくてフラフラしながら、ふりかえるところとか、
ルンゲを噛み殺して、口から血を滴らせながら蠢めく彼の瞳には生気がなく、
小さい子が見たら絶対泣くし!
ホラー映画並みに怖いです。

それから腕や足、首の骨を折られ格闘場に放置された彼が、
「私は怪物」のナンバーを歌いながらの演技で、
折れた腕や足で立ち上がろうとして、ぐじゃっと潰れるように倒れるんですが、
その崩れ方が、本当にリアルで怖い。

何かに比喩できないモノ。
「人間に造られた不完全な創造物」そのものなんですよね。
そのくせホラーのようだけど、ホラーのような汚さはない。
無駄のない美しさは、まさにバレエなんだよな。
いつまでも見ていたいと思ってしまいます。


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チサンさんの怪物の動きは、獣というか、
獣からだんだん人間に近づいてくる「怪物」。
例えるなら、狼男とか、雪男とか、そういうたぐいの怪物。
人間ではないけれど、最初から血が通っている温かさを感じます。
前回のように足を引きずったり、
よだれをだらだら流したりって言うのはないけれど(笑)

最初は上手く2足歩行ができないような獣が、
なんとか2本の足で立っているって感じなんですが、
だんだん人間っぽい動きになってくる。
唸り方や鳴き方は、犬?オオカミ?
グルグル言ったり、キャンキャン、クーンクーン、
それがなんとも野生的で母性本能擽ります(^^)

ウンテ怪物がバレエだとしたら、チサン怪物はジャズ・・・かな?
ワザとバタバタとした動きをして、動きの稚拙さを演出し、
でも、そのくせ「タメ」をつけて、ウェットに自由な動きをしたりする。
怪物になってもツヤがある(笑)でもそれが魅力的だったりするんだな。
まさに、ウンテ怪物と対極ね。
それを狙っているのかな?



♬逃亡者

2幕は1幕から3年後。
怪物の影に怯えるビクターも元に、ついに怪物が舞い戻ります。

「逃亡者」
2人の違いがよく出ているここの歌が好き。

「なぜ戻ってきた!」と、拒絶するビクターに、
「復讐に来た。」と、冷たく言い放ち、
自分が3年の間に経験した悲惨な体験を話して聞かせる歌なのですが、

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チサン怪物は、ようやく再会できたビクターに、怒りを噴出させ、
復讐できる喜びに狂ったように笑うんです。
そこには、初演の時の、ビクターに自分を受け入れて欲しかった寂しい怪物はなく、
それらの感情を通り越して、激しい恨みに変わってしまった復讐鬼となっていて、
ギラギラした瞳でこれからビクターに起こる悲劇を思い、
嬉しくて込み上げるような笑い方にゾッとします。

「アンリ・・・。」
「アンリ・・・ガァ!!!!その名前は俺のものではない!」

思わずそう呼ぶビクターに怒りを露わにし、
唾を吐くようにその名を口にする彼は、アンリに対する憎しみさえ感じます。
彼の怪物は、アンリと完全に隔絶した別の個人で、
アンリは自分を作り出した原因で、恨みの対象なのだと感じました。
そして全ての怒りをこめて、ビクターを憎しみの瞳で睨みつける。 
彼にとってこの後の物語は、「チサン怪物」対「ビクター」なのだと思いました。

歌とともに、怪物が誕生したあの日に時間が遡り、
実験室から逃げ出した後の物語に入る。
チサン怪物は橋の上で、悲惨な過去の怒りと悲しみを歌に込め、
すべてお前のせいだと言わんばかりに歌い上げます。

橋の上は現在、橋の下は3年前。
上と下で時間の流れが変わり、怪物の怒りの訴えが際立ちます。



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ウンテ怪物はというと、チサン怪物とは打って変わって無表情に登場します。

ここによって後の演技がすべて変わってしまう要のシーンで、
私が見たときはまだ上演間がなかったから迷っていたのかな?
ウンテさん、毎回違ったんですよね。
で、一応3度目に見た公演の様子を書くと、こんな感じです。

「ビクターフランケンシュタイン・・・私の創造主よ。」

橋の上からビクターを見下ろす彼の声は、感情を殺して淡々としながらも
有無を言わせないような威圧感。
そのくせ、初演の時のような厳しさはなくて、
彼を裁きにきたというより、
何かをビクターに気づいて欲しい・・・そんな感じに見えました。。

「アンリ・・・。」
「その名前で呼ぶな!」
思わず感情を露わにして、アンリを否定するんですけど、

「アンリ・・・アンリ・・・その名前は私の名前ではない。私には名前がない。
生まれたときにお前がつけてくれなかったから。」

アンリの名前を呟き、彼を嘲るように鼻で笑うんですよね。

「親友を犠牲にして、その首で俺を作ったんだろう?ただの好奇心だけで。」
「なんのことだ。」

ビクターに実験日誌を投げて、ビクターを見下ろす。
しかしビクターは、怪物が事実を知ったことよりも、日誌が戻ってきたことに喜ぶ。
冷ややかにそれを見下ろすウンテ怪物。
その瞳には、ビクターへの恨みよりも、
何か別の悲しさをみたいなものがあるように思えました。

「なぜ戻ってきたんだ!」
「なぜ戻ってきた?
・・・いいだろう、なぜ戻ってきたのか、その理由を教えてやろう。」

それなのに、怪物の真意を読み取ろうとせず、彼を恐れ拒むビクターに、
怒りよりも寂しさと悲しみに声を震わすウンテ怪物。

彼はこの3年間のことを語るように歌い始め、
橋の下では3年前のあの日がよみがえります。
するとウンテ怪物は、訳も分からず追われ、
逃げ惑っていた3年前の自分になりきり、
橋の上で怯え、逃げている様子を演じながら歌います。
橋の下では、鉄砲を持って怪物を追うビクター。
橋の上と下で、3年前のビクターと怪物の心情が映し出される。

自分の実験の「失敗」をリセットしようと躍起になっているビクターと
追われる意味も殺される意味もわからず、恐怖の中逃げ惑う怪物。
歯車が大きくずれてしまった現実に、胸がとても痛くなります。