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舞台大好き。映画も大好き。私の見たもの日記のようなものです。

ringhun的「子午線の祀り」予習〜3

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さて、子午線の予習3です。

平家物語の巻第9より始まります。

ここは、都落ちした平家が陣を構えた一の谷での合戦。

舞台では合戦の様子は描かれていませんが、話の展開上大事な戦いなので、
まずはここから始めます。

平家は都落ちの際に、三種の神器安徳天皇を携えており、
後白河法皇は、源氏に三種の神器の奪還と平家討伐の宣旨を出しまして、
それにより、源氏は平家討伐の軍を出したわけです。

その総大将が我らが(笑)九郎判官義経源義経ですね。
飛ぶ鳥を落とす勢いの若手筆頭。

戦局は今のところ、源平どちらも形勢五分と五分の大均衡。
平家の陣は三方が山に囲まれ、もう一方は海に面した強固な防衛陣。

攻めあぐねていた義経は、一の谷の鵯越に登り、
眼下に見える平家陣に、鵯越の急斜面を馬で駆け下り奇襲!

「鹿の通程の道。馬も通わぬ事、あるべからず。」
(鹿が通れて、馬が通れないわけがない。)

いやぁ。このセリフに彼の性格が滲み出ていますね。

そうは言っても、断崖絶壁を下るわけで、尻込みする兵に、
まず、馬だけを何頭か追い落とし、三頭無事に下ったのを見て、

「馬は乗手が心得て落とせば、けがはするまい。
それ落とせ。義経を手本にせよ。」

と言って、義経自ら先陣を切って斜面を下ってしまったので、
残った兵は後に続くより他はなし。

義経さん、なんて強引でやんちゃくんなんでしょう(笑)
三頭は行けても、他の馬は転んだり足おったり、死んじゃったりしているんですけど。

成功した奴がいるならOKって決断も、
自分一人で突っ走っちゃうところも、総大将にあるまじき。

「事件は現場で起きてるんだっっ!」(死語)←こんな事は言ってません。

てな感じで、現場大好きっ子なのね。
この頃は、出世=敵のクビをどれだけ取ってくるかの時代なので、
燃え滾る血潮を押さえきれないのかもですけど。


結構ギラギラした所もお持ちです。

この戦いで、義経くんのイメージが、何となく見えてきます。
一般的なイメージである、美しく聡明な若武者ではなく、

短気で落ち着きなくて、戦を何よりも楽しんでいる
血気盛んなやんちゃな若将。

それに、物語ラストのほうで彼の容貌をこう言っています。

「九郎は身短く、色白うして向う歯そりたる男なるぞ。」
(背が低くて、色白で、前歯が出ている男だぞ)

ぷぷぷ。
まあ、出っ歯じゃないけど、なんとなく成河くんのイメージそのものでしょ?



まあ、そんなわけで、無理矢理三千余騎が、
地鳴りを挙げて斜面を転がるように降りていく。
響き渡る武士たちの雄叫びは、崖に反射して三千を十万余騎のように聞こえ、
陣営の館に火を放てば、強い風が吹き入れるのですぐに炎が周り黒煙が立ちこめる。

これに平家がどんだけ驚いたかって言うと、

陣営を崩し、我先に海へ駆け込み船に逃げ込むが、
その数が多すぎて大船三隻が沈んでしまうってほど(笑)

すると、残りの船への乗船は身分の高いものが優先になり、
低いものが船に手をかければ太刀で払い、
生き残りをかけた味方同士のバトルが繰り広げられ、
阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられたわけです。

どんだけ?
まるでゴジラが襲来してきたかのような有様。

でも、この背景には、後白河法皇の和平交を持ちかけられていたという伏線もあり、
平家としては、まさか今攻められるとは思ってもみなかったんですね。

そんなことは義経は知らないけれど、平家から見たら完全なだまし討ち。
しかも戦闘開始の挨拶もなく、いきなりの夜襲はあり得ない。
この時代の戦い方は、まず名乗って挨拶してから戦いに挑むのがルールですから。
まぁ、今で言う所のゲリラ戦ってやつですよね。

ルールも礼儀もへったくれもない野蛮な奴ら。

と、平家は恨み節を噛み締めながらも多くの兵士を失い、
形勢は平家から源氏へ大きく傾く。

雅な貴族社会から粗野で野心の武家社会へ移行する、
ここが境界線なのかもしれません。

まさに時代を作った人な訳だ。義経くん。



で、「子午線の祀り」本編に戻りましょう。

このパニックのような有様の中、
主人公の知盛さんが逃げ帰ってきた所から始まります。

実は枯れ、この戦いで逃げる途中、源氏軍に見つかり絶体絶命。
そこで父知盛を助けるべく、息子の武藏守知章(むさしのかみともあきら)が、
彼をかばって討たれてしまうんですね。

一の谷の大将ですからね、知盛は。
でも、齢16歳の最愛の息子を犠牲にして逃げ帰らなければならなかった彼の苦悩。

「よくよく命は惜しいもので候よ」
(なんとまあ、自分の命は、惜しいものであった・・・)


平家総大将の宗盛の船に逃げ帰り、そう嘆き悲しみ知盛。
親の心を押さえ、大将としての責任を果たさねばならなかった知盛。

そして、船に乗り込む時、愛馬を捨てなくてはならない。
彼の馬は名馬ですから、そのまま残しておけばやがて源氏の力になってしまう。
だから本来なら殺さなければならないのですが、矢を討とうとした民部を止める。

「誰のものともならばれ、我が命を助けた馬を」
(生きられる者をむざむざと殺素必要はない。私の命を助けた馬なのだから。)

このひと言に、息子を失った悲しさと、嘆きがつまっていますね。
萬斎さん、ここの悲しみをどう表現するのでしょうか?

さあ、彼の苦悩の始まりです。




余談ではありますが。
この戦いで、もう一人若者が命を落としました。

この名前に聞き覚えは?

そうです。
「髑髏城の7人」の冒頭で、天魔王が踊った能の謡です。

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敦盛は、修理大夫経盛の息子で、これが戦デビューだった17歳。
経盛同様、笛の名手で、夜襲前夜も彼の笛の音が響いて
両陣営の兵の心を癒してたのですが←風流。

逃げる際に、愛用の笛を忘れて取りに帰り、源氏の熊谷直実に追いつかれ、
一騎打ちをするも破れてつかまってしまうのですが、

いざ首をはねる所で、敦盛があまりに若いので直実、躊躇してしまいます。
前の日に自分の子が負傷してたんですね。
怪我をしただけで、これほど胸が痛いのに、
自分の息子と同じくらいの子を切るなんてできないと、
一瞬逃がそうとするのですが、後ろから他の兵士たちが来る音がして、
どうせ逃げられないのなら、自分が首をはね、供養しようと首をはね、
その後出家をしてしまったのです。

出家するときに、彼の謡に敦盛の事を歌う句があり、それがこれなんですね。

「人生五十年、化天のうちを比ぶれば、
夢幻の如くなり。
一度生を得て滅びぬ者のあるべきか。
滅せぬ者のあるべきか。」


この謡は、織田信長が好んだ謡で、
出陣のときには謡い舞ったそうです。

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天魔王は、この信長を模していたわけですね。
ふふふ、かっこいい。

意外な所で、天魔王と義経のつながりを見てほくそ笑んだ私だったのでした。