ringhun的「子午線の祀り」予習~4
ツイを添付できなかったので、インタビューは↑
あんにょんです。
さてさて。
子午線関連の情報も、そろそろいろんな所で解禁し始めて
成河くんのインタビューもたくさん出てきて嬉しい。
成河くんもがんばっているので、私もれっつすたでぃ。(関係ないけど)
まず、この作品で行われる「群読」って一体なんでしょう?
「一人ないし、複数の読み手で美的に音声表現すること」
インタビューで成河くんが、
「この作品の意義とも言えるのが、"語り(モノローグ)"と
"対話(ダイアローグ)"の言葉が同居しているところだと思います。
と話しておりましたが、
セリフだけでなく様子などを伝える文語体が、一緒に読まれながらの演技。
つまり、「子午線の祀り」っていうのは、朗読劇ってことなんだ。
たとえば、1幕最初の宗盛のセリフ。
「大臣宗盛の卿、これを聞き給いて『まことに武蔵の守の父の命にかわられけるこそ類いあり難きことなれ。・・・(略)』とて、おん子衛門の督清宗のおわしける方を御覧じて涙ぐみ給えばー」
(宗盛はこれを聞いて、「父の身代わりになるなんて、たやすいことではない。本当なら腕もたち心も強い良い将軍になるはずだったであろう。我が子清宗と同じまだ16歳だったのに。」と、我が子清宗を見て涙ぐんだ)
なんて感じで、セリフと語りが混合してますね。
(自分のことなのに、尊敬語ばっちしなのが少し笑えますっがww)
そうかと思えば、
影身:「新中納言様が行けとおっしゃいますか?」
知盛;「そうだ、この知盛が頼むのだ。よいな、影身?」
なんて、会話はしっかり現代語だったりする。
(この辺は安心して感情移入できそうでホッ)
口語体と文語体が混じり合った言葉の世界。
もっと言うなら、現代語と古語が混じり合い、
演じる人も現代劇と伝統劇の演技が混じり合う。
個体美を重宝する日本文化において、
混ぜるという「調和」の美しさを求める攻めの姿勢にドキドキは隠せません。
思いっきり古典作品なのに、全てのジャンルを超えた前衛的な構成。
これはまさに、成河くんが常に追い求めていた「ボーダレス」な世界で、
彼が猛烈に惹かれるのも当然だわね。
日本語は元来、繊細で美しい。
独特のリズムとトーン。
それは更に美しく嫋やかでありましょう。
が、しかし!
美しくも、あまり聞き慣れない言葉を重ねられると、
まるでクラッシック音楽を聴くかのごとく瞼が降りてしまう・・・かも(苦笑)
なので、お話も、セリフもちゃんと理解の域に持っていかないとね。
勉強会、まだまだ続きます。
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