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舞台大好き。映画も大好き。私の見たもの日記のようなものです。

ringhun的「子午線の祀り」予習〜10

 
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さてさて。
ぐずぐずしていたらやっぱり、未完のまま初日を過ぎてしまいました。
本日、MY初日。
まだまだ、プレビューですから、変更もあるかもしれませんが、
最初の逢瀬,楽しんできたいと思います。

と、その前に。
やや中抜けではありますが、壇ノ浦の戦いについて、
イメージを膨らますためにも、ちょっと予習。

壇ノ浦壇ノ浦と、言うけれど、場所はどこかと言えば、
本州と九州の境目の関門海峡のところですね。

九州からは、源範頼(蒲の冠者)の軍が押し寄せ、
東からは義経の軍。
進退窮まった平家軍は、ちょうど境目の彦島に本陣を構えます。

ここは、九州側からも本州側からも陸攻めできず、
島で決戦をするためには狭い場所。
ですから当然、海での戦いを余儀なくされます。

この辺りは、
「早鞆の瀬戸(はやとものせと)」と呼ばれ、
関門海峡の中でも狭く潮の流れの最も強い場所。
前記の通り、海での戦いは源氏軍はビギナー、平家は得意分野ですから、
平家にとっては正真正銘最後のチャンス。

源氏も、ようやく海戦術の重要性はわかっておりましたから、
義経は、この地の水主楫取(かこかんどり)(水夫)を束ねる船所五郎正利
味方に付くか否かで勝敗が分かれると感じていて、
景時らが、「一体いつになったら攻めにいくんだっ!」とせき立てる中、
彼が来るのを辛抱強く待ったのでした。
←味方になると言う約束を弁慶が取り付け、3日後に参じると約束していた。

決戦の日の壇ノ浦は、新月の大潮が終わり小潮の時期。

この日ようやく到着した船所五郎正利が、
「よくぞこの日を合戦の日に決められました。」と褒める通り、
一番潮の流れが緩やかな合戦には絶好の日。
もちろん、義経はそんなこと知りませんから、全くの偶然なんですけど、
偶然でこの日を引き当てるなんて、やっぱり義経は運を持っていたんですね。

この海流は、1日に2度、潮は西から東に流れ、
1日に2度、東から西に流れるのだそうで、この日の流れは、

23日深夜、義経戦陣を組む。←実はこのとき潮流は東から西へ
24日
    高潮   05:10(海面が最も高い)
 落潮   08:30(潮速ゼロ、潮流は西から東へ
 低潮   11:10(海面が最も低い)
 漲潮   15:00(潮速ゼロ、潮流は東から西へ
 高潮   17:10(海面が最も高い)
 最急潮流 17:45(潮流が最も速い)
 落潮   20:30(潮速ゼロ、潮流は西から東へ
 低潮   23:10(海面が最も低い)


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落潮のときは外洋から内洋(西から東)に、
漲潮のときは内洋から外洋(東から西)に。

潮の流れを制するものが勝つ。

決戦は正午から始まり、矢合わせ。
そしてとにかく15時頃まで源氏はジッと我慢の子。

攻められ攻められるのをジッと耐えていた義経ですが、
ついに堪忍袋の緒が切れ、相手の水主楫取を矢で撃ち殺させます。
これは、当時の戦ではタブーとされていて、敵も味方も目が点。
白服を来た楫取は、兵士ではないので殺したりしないのがルール。

「フェアプレイ?なにそれ。こちとら遊びじゃないんだぜ。
命の取り合いにルールなんかあるかっ!」超訳

楫取を討たれ、船の操縦の出来なくなった平家軍。
時を同じくして15時。潮の流れは東から西へ変わり、
そして、さらに知盛に襲いかかる決定的なこと。←それは、また後で。

知盛は命運が尽きるのを察し、
「もはやこれまで。見苦しいものは全部捨て、きれいにしなさい。」
と女官に伝え、驚いた女官が「どうなっているのですか?」と聞けば、
「今に見たこともない東国のむさい男たちを見られるだろう。」
と冷笑する。

この辺りの所作が、義経知盛の決定的な差を描いていておもしろいですね。

どちらも、公家が発祥でありながら、
源氏は武士平家は貴族なんですよ。やっぱり。
そしてそれが、時代の流れを物語っていますよね。

本当はここ、3幕2場と4幕をかけた長丁場で、
それはいろんなお話が詰め込まれているんですが、それは復習がてら次回に。

とりあえず、今日、「子午線の祀り」逢ってきます。